やっぱ音楽って・・・

ドンシャーリーはどんなミュージシャンだったのか

前回に引き続き、映画「グリーンブック」に取り上げられたドンシャーリーのお話。前述したように、ディープジャズファンにも拘わらず筆者は全く知りませんでした。で、かなり調べてみたので、成果報告です。

映画「グリーンブック」についての前回の記事

音源が少ない

まず。圧倒的に資料が少ない。音源に関してもAMAZONでも日本語で検索するとこの通り。

ドンシャーリー

まったくありません(2018/9/24現在の状況。映画公開で増えるかもしれません)

英語で検索すると、
Don Shirley

ある程度でてきます。つまり日本盤でまったく出ていないということになります。

ネットで検索しても、中古盤が2、3枚出てくるだけ。

輸入盤があるということは、アメリカではまだまだ知られた存在なのでしょうか。

ドン・シャーリーの経歴

こういう手がかりが少ないときは、まずはWikipediaですね。なんですが、これも日本語のページはなく、英語のみです。

Don Shirley(Wikipedia)

英語は全然ダメなんですが、分からないなりに辞書片手に読んでみると、かなりすごい人だったことが分かります。

まず、生まれたのは1927年1月29日、ジャマイカの首都キングストン。アメリカじゃなくジャマイカなのも興味深くて、深く掘り下げてみたいです。

で、母親の手ほどきを受けて2歳からピアノを始め、3歳の時にはすでに人前で演奏するほどだったそうです。もちろんジャンルはクラシック

9歳で音楽理論を学び始め、作曲も学ぶようになります。

コンサートデビューは弱冠18歳。スターウォーズなどの映画音楽でなじみ深いボストンポップスオーケストラをバックにつけてだそうです。その翌年には自身の作曲した曲がロンドンフィルハーモニックオーケストラによって演奏されるなど、なかなかの神童ぶりを発揮してます。

その後、オーケストラとの共演を続けますが、それよりも力を入れていたのが、トリオ演奏で年間95回もコンサートを行っていたようです。

どうやら、ドン・シャーリーという人はかなりの天才タイプだったようで、音楽だけではなく、心理学、典礼芸術の博士号を持っていて、8か国語を話すことができ、絵画の才能もあったようです。

そんなこともあってか、音楽療法的なこともやろうとしていたようですね。

1950年代から1960年代にかけて、Cadence Recordsに16枚のアルバムを残し、その中からのシングル曲「Water Boy」がビルボードのチャートで40位を記録。14週にわたってトップ100に居続けます。インストの曲としては異例のヒットでしょう。

さらには、デュークエリントンが彼に注目し、クラシックオーケストラとのコンサートに抜擢したりしたようです。さらにはテレビ番組に出演したこともあったようでそんなこんなが重なり全米での知名度が一気にアップしたようです。

なぜ今、無名なのか

そんな、輝かしいキャリアと才能を持つドン・シャーリーですが、なぜこれほどまでに知られていないのでしょう。

それは、前回の記事でも触れましたが、他のジャズのミュージシャンと演奏してないということが考えられます。

数少ないアルバムの情報からみると、けっこうジャズのスタンダードを演奏していますが、メンバーのクレジットがなかったり、曲ごとにメンバー、編成を変えたりしています。メンバー構成が最重要になるジャズと違って、あくまで主役ドンシャーリーをたてるコンセプトでアルバムが作られていたんじゃないでしょうか。

ドンシャーリーのアルバムに他のミュージシャンの名前がないし、他のアーティスト経由でドンシャーリーにたどり着くことがない。

なのでジャズスタンダードを演奏しているのに、ジャズファンにとってまったく馴染みがなく忘れられた存在になっている。(そもそも日本には入ってきていない)

ジャズミュージシャンと交流がなかったのは・・・

デュークエリントンとは共演しているらしいんですけどね。しかし、共演したのは1955年、デュークエリントンらスイングジャズの最盛期は1940年代。そのスイングジャズに反発して始まったのがモダンジャズですから。1950年代は表立った社交場ではスイングジャズが華やかながら、ダウンタウンのクラブではモダンジャズが大盛り上がりだったと思われます。

あくまでも50年代はモダンジャズはカウンターカルチャーでアングラな音楽。レコードのリリースもメジャーレーベルではなく、インディペントレーベル、いわゆるインディーズだったのです。一般(特にお金持ち)には社交場で演奏されるクラシック、スイングジャズ、ポップスがメジャーに楽しむ音楽でした。

メジャーな音楽シーンですでにキャリアを確立していたドンシャーリーは、そんなアングラカルチャーには降りていけなかったのかもしれません。

今と違って、当時ジャズミュージシャンで大学出ている人はほとんどいませんでした。その点も”万能の天才”ドンシャーリーと当時のジャズシーンを隔てる壁だったんではないでしょうか。調べた限りではデュークエリントン以外ではジャズミュージシャンとの共演はありませんでした。

それでも謎は残る

ドンシャーリーとジャズを遠ざけていた要因はなんとなくわかったような気がしますが、それでも謎が残ります。彼が演奏しているジャズスタンダードはモダンジャズの定番曲も多かったりします。つまり昔のジャズではなく今のジャズを向いていたわけで、そこでなぜ当時のシーンに飛び込まなかったのか。

よしんば、50年代はためらわれたとしても、60年代、70年代はどうだったのか。ドンシャーリーが亡くなったのは2013年。昔と違ってジャズはアカデミックな音楽になり、今では逆に大学(特に音楽専門)を出ていないとジャズミュージシャンの方が少なかったりします。晩年は音楽シーンをどう見ていたのか、興味深いですね。

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